今日は聖教新聞が休刊日なので、『月々日々に――池田先生の折々の言葉』と『寸鉄』はお休みです。代わりに新・人間革命第26巻を紹介します。
「…また、(戸田)先生は、このお手紙では、『仏には怨みや怒りやそねみはない』と言われながら、先ほど紹介したお手紙には、『敵味方を峻別せよ』とある。実は、ここに、重大な意義があります。『敵・味方』とは、悪か善かということです。その峻別ができなければ、姪御さんの幸せも、また、私どもの信仰も攪乱され、現実において敗北してしまいます。
大聖人は『悪知識と申すは甘くかたらひ詐(いつわ)り媚(こ)び言(ことば)を巧(たくみ)にして愚痴の人の心を取つて善心を破る』(御書七㌻)といわれている。
悪知識というのは、仏道修行を妨げ、幸福への道を誤らせる悪徳の者であり、悪友です。この悪知識という敵は、甘く語らい、嘘をつき、媚びて、言葉巧みに近づき、心を許すように仕向け、退転させていくんです。ゆえに、悪を悪と見破り、戦うことが大事なんです。悪と戦わぬ善はありません。悪を打ち破ることが、慈悲にもなるんです」
—「悪人の敵になり得る勇者でなければ善人の友とはなり得ぬ」とは、初代会長・牧口常三郎の珠玉の指導である。
「新・人間革命第26巻 『厚田』の章 pp.104,105」より抜粋
(感想)
「悪人の敵になり得る勇者でなければ善人の友とはなり得ぬ」この言葉の意味はずっと分かりませんでしたが、広宣流布のために戦うと、どうしても広宣流布の考え方(他者の幸せのため)が受け入れられない時期の人がいます。そういう人がその時点での悪人(その人にはその人なりの正義がある)だと思います。ただ最終的には、その敵も、さまざまな人の巡り合わせで味方になることも分かってきました。ですので、その時点での悪人に対しても、丁寧で誠実な対応が後々、味方になってもらう大事なポイントだと思うようになりました。むしろそうした人にしっかりと理解してもらう対話をすると、味方になった時、とても大きな力になってくれることを、少しだけ分かるようになりました。
悪人の敵になり得る勇者でなければ善人の友とはなり得ぬ
Unless you are a hero who can be the enemy of bad people, you cannot be a friend of good people.
除非你是一个可以与坏人为敌的英雄,否则你就不可能成为好人的朋友。
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