『月々日々に――池田先生の折々の言葉』
共に祈る。共に学ぶ。共に語る。
共に歩く。「共に」という心と行動の
なかに、日蓮仏法の真髄の精神がある。
※2010年3月5日付聖教新聞「随筆 我らの勝利の大道」を基にしています。
『寸鉄』
悩み苦しみながら、皆を
励ますから仏になれる―
戸田先生。確信の題目で
◇
歓びは苦労し困難を越え
勝利知る魂の中に―詩人
広布の労苦は我が心飾る
◇
刑法犯3年連続増加と。
特殊詐欺被害は過去最悪
の721億円。人ごとに非ず
「聖教新聞」より
(感想)
今日は聖教新聞が休刊日のため、昨日書けなかった分を書きたいと思います。
「刑法犯3年連続増加と。特殊詐欺被害は過去最悪の721億円。人ごとに非ず」
「悩み苦しみながら、皆を励ますから仏になれる」
「共に祈る。共に学ぶ。共に語る。共に歩く。」
刑法犯という人がどういう人なのかきちんとイメージできなかったので、調べてみました。すると「…刑法は古くから存在する法律であり、人間が積み重ねてきた歴史の中で、頻繁に発生しがちな犯罪類型が、刑法犯として規定されています。…」とCopilot の回答に出てきました。これでもまだイメージが固まりませんでしたが、「悩み苦しみながら、皆を励ますから仏になれる」「共に祈る。共に学ぶ。共に語る。共に歩く。」とは、異なる姿であることだけは、分かりました。では、なぜ人は、よりよく生きようとする人がいる一方で、それとは異なる「刑法犯」になってしまう人がいるのか考えました。自分に当てはめて考えると、自分がされたことをやった人に返せない場合は、他の人に巡らせて気持ちを整理しようと考えます。それがよいことならいいですが、嫌なことをされると、恨みつらみが固まり、憎しみが時間と共に増幅するので、それが表面化されたのが刑法犯なのだと考えました。
今日は時間がないので、その解決方法まで行きませんでしたが、これで終わります。
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