『月々日々に――池田先生の折々の言葉』
座談会は、多くの仲間たちを幸福へと
運ぶ“希望の列車”である。地域を結び、
団結力を高めゆく、偉大な集いである。
※2014年10月28日付聖教新聞「随筆 民衆凱歌の大行進」を基にしています。
『寸鉄』
現証こそ「宗教の生命」
―牧口先生。歓喜の体験
は希望の光。皆で語ろう
◇
国連「教育の国際デー」。
子の未来を守る社会へ。
豊かな教育が平和の礎に
「聖教新聞」より
(感想)
「座談会は、多くの仲間たちを幸福へと運ぶ“希望の列車”である。地域を結び、団結力を高めゆく、偉大な集いである。」
多くの宗教やコミュニティにおける座談会は、職業、肩書、立場、年齢、性別、国籍といった枠を超え、誰もが自由に意見を交換し、学び合う場として重要な役割を果たしてきました。その本質的な意義を考えると、座談会は確かに「地域を結び、団結力を高めゆく、偉大な集い」と言えます。共通の目標を持つ仲間が集まり、互いを支え合い、励まし合うことで、参加者の幸福や成長を促す場となるからです。
しかし、座談会がその意義を失うリスクもあります。たとえば、定例化が進み、形式的な集まりとなってしまうと、目的を見失い、集うことそのものが「当たり前」になってしまうことがあります。その結果、愚痴や不平不満が主な話題となり、硬直した組織や閉鎖的な雰囲気が生まれる可能性があります。
こうした課題を克服し、座談会を「希望の列車」として機能させ続けるためには、運営側の柔軟な対応が不可欠です。特に、参加者の声に耳を傾け、その意見や要望を反映させながら、座談会の内容や形式を適宜見直していくことが重要です。たとえば、テーマを多様化させたり、参加型のアクティビティを導入したりすることで、活気と新鮮さを保つことができるでしょう。
さらに、座談会は単に「話し合い」の場で終わるのではなく、そこでの対話を通じて新たな行動やつながりを生み出す場であるべきです。一人ひとりの思いや悩みを共有し合うことで、互いの人生に彩りを与え、希望を共有する時間を創出する。そのためには、参加者自身が積極的に役割を担い、主体性を持って座談会に関わることも求められます。
座談会は、その運営次第で無限の可能性を秘めています。「希望の列車」として、多くの人を幸福へと運ぶ集いであり続けるために、私たち一人ひとりがその意義を見つめ直し、より良い場づくりに貢献していきたいものです。
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