今日は、聖教新聞がお休みなので、『月々日々に――池田先生の折々の言葉』『寸鉄』はありません。
かわりに昨日(12月8日)の『名字の言』を引用したいと思います。
励ましの形はいろいろ
「青年部の友らと「励まし」をテーマにディスカッションをした。その際、こう質問してみた。「声かけや手紙など“言葉を使った激励”は多いですが、言葉以外で励まされた経験はありますか」▼皆は自身が悩みに直面した当時を思い返しつつ、答えてくれた。「先輩に笑顔で肩をたたかれた」「友達が黙ってそばにいてくれた」など。中には「受験生で深夜まで勉強していた頃、両親がいる隣の部屋もずっと電灯がついていた」という回答も。“励ましの形はいろいろある”と痛感した…」
「聖教新聞」より
(感想)
「声かけや手紙など“言葉を使った激励”は多いですが、言葉以外で励まされた経験はありますか」と自分が聞かれたら何と答えるか、考えてみました。思い起こすのは、母が自分にどう接してくれていたのかということです。私自身、小さい頃は親の言うことを聞かず、好き勝手にいろんなことをやらかしました。住んでいたマンションの屋上の壁を乗り越えて、地上20m近くの給水等のところまで命綱なしで上ったり、自転車でせまいところを通れるか試して車に傷をつけたりしました。そうした時、母は全部わかった上で、そうしたことに全部向き合って、謝罪をしたり、弁償したりしてくれました。そうしたことが、親になった今、母のように向き合っていけばいいんだというのが「励まし」(安心感)になっています。世の中で取り上げられるのは、ハラスメントや虐待が多いですが、言葉以外の励ましである「安心感」や「安全地帯」が日々ニュースで取り上げられるようになると、「励まし」の世界になっていくと思いました。
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