2024年7月25日

『月々日々に――池田先生の折々の言葉』

学び続ける生命には、無限の喜びがあり、

無窮の成長がある。学び続ける人生には、

停滞もなければ、行き詰まりもない。

※2016年8月8日付聖教新聞に掲載のメッセージを基にしています。

『寸鉄』

青年教学試験1級へ研鑽

進む。御本仏の精神を学

び抜き生涯不退の原点に

「聖教新聞」より

(感想)

「学び続ける人生には、停滞もなければ、行き詰まりもない。」このことは、、今回の青年教学部1級試験の佐渡御書の一節とつながっていると思います。「雪山童子が仏法の一節を求めて鬼に身を投げ与え、楽法梵志(ぎょうぼうぼんじ)が教わろうとする経を書き記す紙とするために身の皮をはいだように、身命以上に惜しいものはないので、この身命を布施として仏法を習うならば、必ず仏になる。」(大白蓮華6月号p.74現代語訳より)この部分が、学び続けようとすること=仏となることだとイメージできれば、何かがあったとしても、停滞もなければ、行き詰ることもないと考えることができると分かってきます。自分が納得できないストップ命令が来たら、その人自身が学び続けていないので、申し訳ないですけど、その指示を聞く必要はないと思います。逆に学び続けている人は、ストップ命令ではなく、停滞もせず、行き詰まりもしない、新たな示唆を与えてくれるものだからです。

ちょっとずつ学ぶ

基本的には、聖教新聞の『月々日々に――池田先生の折々の言葉』と『寸鉄』を読んで、思ったことをつらつらと書いています。

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