『わが友に贈る』
世界の平和を祈り
地域貢献に取り組む。
これが仏法者の使命だ。
自他共の幸福が輝く
安穏の社会の建設を!
『寸鉄』
「法華経は種のごとく、
仏はうえてのごとく」。
希望の哲学を誠実に拡大
(新1435・全1056)
◇
御書を拝せば人生に行き
詰まりはない―戸田先生
行学の二道が勝利の直道
◇
勇気は逆境における光で
ある―思想家。困難な時
こそ師子吼の題目で前進
「聖教新聞」より
(感想)
「世界の平和を祈り地域貢献に取り組む。これが仏法者の使命だ。」「御書を拝せば人生に行き詰まりはない」歴史の教科書では、鎌倉時代に生まれた仏教について「たくましく成長した民衆や、戦いの中を生き延びた武士の心のよりどころとして、新しい仏教がおこりました。それらは分かりやすく、難しい修行が不要だったので、多くの人々の心をとらえました。」と記載してあり、その後、「一心に念仏を唱えれば、だれでも極楽浄土に生まれ変わると説いて」や「法華経の題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば人も国も救われると説き」と続いて書かれています。これでは、ほとんどの人はその宗教の本質に気づくことはありません。ただ、それは公教育上平等に扱う点から仕方がないと思います。しかし、この信心を学んでいる自分としては、この信心のすごいところは、たくさん知っていますし、まだまだ知らないこともたくさんあります。教科書の記述だけでも、念仏の方は、「極楽浄土に生まれ変わる」=「この世での夢をあきらめる⇒何もしない」という方向に行きやすくなるのに対して、法華経の題目の方は、「人も国も救われる」=「いま生きている人が助かったと感じられる⇒自分が変わらなければいけない」という「難しい修行≠苦行」という発想から「難しくない修行=自身を高める努力」へと転換されていると考えられます。この辺りは、思想的な問題でもあるので、学校教育では話ができませんが、場面を変えればその思想や哲学は話すことができると思うので、「平和を祈り地域貢献に取り組む」ためにも、自分にできる形で広宣流布に貢献していきたいと思います。
「平和を祈り地域貢献に取り組む」
Pray for peace and contribute to the community
祈福平安,回馈社会
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