今日は聖教新聞がお休みなので、『わが友に贈る』『寸鉄』はありません。
代わりに、昨日の聖教新聞の「不戦世界へ「内なる変革」を 池田先生の写真と言葉「四季の励まし」から考えたいと思います。文章は聖教新聞のサイトからコピーしました。
私は、断じて戦争に反対する!絶対に反対する!私と同じ世代の多くの青年たちが、国家からはおだてられ、喜び勇んで、戦地に行かされた。
しかし、その家族の心の奥には、どれほど苦痛と悲嘆と不幸のわびしき嵐が吹き荒れていたことか。
戦争ほど悲惨なものはない。戦争は絶対悪である。断じて二度と繰り返すな!この誓いを新たにしたい。そのための人間革命運動である。
人類が目指すべきは、多様性を尊重し、互いの差異を新たな価値創造の源泉とし、プラスの影響を与え合う共存共栄である。そして、いかなる国も、いかなる民族も、“かけがえのない存在”として尊重され、皆が調和していく地球社会の建設なのだ。
「平和の文化」といっても、どこか遠くにあるものではない。自身の心のなかに、多様性を尊重し、他者を慈しむ、寛容と非暴力の精神を、いかに築きゆくか。
換言すれば、他者を差別する不寛容の心、狭隘なるエゴの心を超克しゆく「内なる変革」への挑戦から、私たちは出発すべきなのである。
乱世を照らす立正安国の哲学を、人類が渇仰している。我らは一歩も退かない。一人一人と確信の対話を広げ、民衆の笑顔が光る生命尊厳の社会を築きゆこう!
「聖教新聞」より
(感想)
「私と同じ世代の多くの青年たちが、国家からはおだてられ、喜び勇んで、戦地に行かされた。」特にこの部分が気になりました。教育によって、子どもたちは戦争を美化し、家族を守るため、国を守るためという思いで、相手の家族がいることも気づかずに戦争に行ったのだと思います。相手の家族は傷ついても、自分の家族だけ守ろうというのは虫が良すぎます。結局、そうしたことを教えずに国家主義の偽善の部分だけ言い続けた結果、悲劇が起こったのだと思います。いまの時代、玉石混交の情報があふれ、自分に都合の良いものしか受け入れない様相があります。この状態ならまだ良いと思いますが、何かコトが起きた時に、一つの国や一つのものを敵として徹底してやっつけたとき、やられた側には間違いなく苦しみや恨みが残るので、それを忘れずに、いつか報復があるものだと思っていなければいけないと思います。そうならないためには、常に考え、常に対話をし続けなければいけないと思います。それが「戦地に行かされた。」のように、人に何かをされたとならないための防禦手段になると思います。
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