『わが友に贈る』
誰が見ていなくとも
友の幸福に尽くし抜く。
その献身に無量の福徳が。
「冥の照覧」を確信して
尊き使命に生きゆこう!
『寸鉄』
「最後はこうと思しめし
候え」御書。苦闘の時も
“必ず勝つ”との祈りで
(新1700・全1228)
◇
「ねたみと憎しみは虚偽
と中傷を用いる」哲学者
青年よ破邪顕正の勇者に
◇
栄養・運動・社会参加が
若さ維持の鍵と。今日も
一歩!幸齢社会の主役と
「聖教新聞」より
(感想)
「『冥の照覧』を確信」できないので、自分も含め多くの人は、「ねたみと憎しみ」を偉大してしまい、自分は楽してその徳を得たい、自分も同じように見られたいとの思いや衝動にかられ、「虚偽と中傷を用いる」ようになります。そして、ずるいことに、そのことを余程自分が認められるまで口にしません。だからこそ、「誰が見ていなくとも友の幸福に尽くし抜く」ことが大事なのだと思います。周りの人は、口にしなくても、見ていて気付いていています。「その献身に無量の福徳が」必ずついています。大きな『冥の照覧』ほど、その分現れるのに時間がかかります。八風抄のごとく、ささいなことに一喜一憂せず、正しいと思う自分の行動に自信をもって進むことが大切だと思います。同生天、同名天の役割も同じことだと思います。
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