『わが友に贈る』
信仰の実践は
“自身の弱さ”に
打ち勝つためにある。
勤行・唱題で心を鍛え
堂々たる凱歌の実証を!
『寸鉄』
「法華経の一字は大地の
ごとし、万物を出生す」。
妙法は幸福勝利への法則
(新1716・全1263)
◇
人生は一大芸術である―
文豪。宿命を使命に。共に
人間革命の劇を朗らかに
◇
G7サミットは子どもが
世界の課題知る好機と。
家庭で平和語らう機会を
「聖教新聞」より
(感想)
「信仰の実践は“自身の弱さ”に打ち勝つためにある」という中の「弱さ」について考えました。弱いとどうなるか、言いたいことが言えない、嫌なことと向き合わない、怖くて動けない、自分を守るために攻撃的(相手を否定だけする)な発言をする(いじめ)など、マイナスなことばかり起こします。逆にそれに打ち勝った姿は、相手の意思を尊重して言いたいことを我慢する、自分にとって耳の痛い話にも耳を傾け、ここからどうすれば良いか考え学び続ける、考えてきた良いと思うことを失敗をしても前向きに捉えて実践する、多少の自己犠牲は気にせず、柔和忍辱の鎧を着て対立をおそれず建設的な意見を述べるなどだと思います。一見、傍から見ると同じ行動をしているように見えますが、結果は厳然と異なってくると思います。どちらにしても長い目で見ないとどちらが正しいか分からないので、すぐに正邪の判断はつきませんが、長い目で見れば差は歴然です。そのための「信仰の実践」だと思います。
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