2022年7月9日

『わが友に贈る』

 「立正安国」とは

 自他共の幸福を祈り

 社会の安穏を築くため

 互いに高め合う実践だ。

 正義の連帯を広げよう!

『寸鉄』

我らは誓う。あらゆる暴

力を断固否定し平和行動

貫く事を。輝く未来、共に

「聖教新聞」より

(感想)

昨日、安倍元首相が凶弾により亡くなりました。ご冥福をお祈りします。そして、襲撃した犯人の考えがどれほど浅はかか、もっと考えなければいけないと思います。おそらく選挙運動中だったので、要人の動きがネットなどで拡散されていたために、狙ったのだと思いますが、これが何を意味するのかを考えないと、今後の様々な方の活動がやりづらくなってしまうことに気づかないといけないと思います。元テレビ朝日ニュースデスクだった方が、「なぜ「宗教団体」の名前を明かさないのか」という疑問を立てて「考えうるとすれば、局として「宗教団体側には何も責任がないから」ということに配慮して、もう少し供述内容が明らかとなって宗教団体と犯行動機との関連性が深まるまで様子をうかがっている可能性」などと答えを出していますが、少し視点がズレているように思います。政教分離の視点で言えば、宗教側が政治を支援することは良いとされ、政治の側が特定の宗教団体を支援することを制限する目的なので、ニュースで安倍元首相が関わっていたというその宗教団体を疎明にすることがそもそも何を引き起こすのかを考えた上でなければ、公表をする必要はないとないと思います。そういう意味では、鎮目博道さんが「「配慮や忖度」があれば真相解明は遠のく」と言われていますが、配慮が必要な事案なので、明かしていないと考えるのが自然なことだと考えます。他にもいくつか言いたいことがありますが、多くなって時間がないので、最後に一つ、「今回の事件は「言論の自由や民主主義への挑戦」という問題?」と疑問をもち、「しかし、スタジオにいるコメンテーターや解説委員など「伝える側」まで、このフレーズを繰り返し述べていたのは、本当にそれで良いのだろうか。」と投げかけら、「動機がはっきり分からない中で、局サイドまで「言論の自由と民主主義に対する許し難い犯行だ」と断定してしまっているかのような報道姿勢は、それでよいのだろうか」と締めくくられていますが、この分析も視点が浅いと感じます。そもそも他の皆さんが思う「民主主義への挑戦」とはどういう意味なのかの説明をしていないため、話が上っ面で、説得力がないように思います。民主主義への挑戦とは、みんなで話し合って物事を決めることを民主主義とすると、民主主義の活動をすることで、銃で命を狙われるとなれば、話し合ったり、反対意見を言うと殺されるかもしれないと思い、自分の意見が言いにくくなります。これが民主主義への挑戦の意味だと理解しています。最低でも、この程度の説明をして、話をすれば、「『…許し難い犯行だ』と断定してしまっているかのような報道姿勢は、それでよいのだろうか」という締めくくりにはならないと思います。申し訳ないですが、「YouTube制作など多メディアで活動。江戸川大学非常勤講師、MXテレビ映像学院講師」など多くの方に影響力をもち、教育にも関わる仕事をされているならば、そこで学んでいる方も含め多くの方が納得し、考えが深まり、学びのある言葉で、記事を書いていただきたいと思いました。

ちょっとずつ学ぶ

基本的には、聖教新聞の『月々日々に――池田先生の折々の言葉』と『寸鉄』を読んで、思ったことをつらつらと書いています。

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