2022年4月18日

『わが友に贈る』

 「一切は現証にはしかず」

 体験が躍動する聖教は

 希望と勇気の光源なり。

 人間力・生命力の言論で

 励ましの仏縁拡大を!

 新1672・全1279


『寸鉄』

青年を育むことが人類の

境涯高める―恩師。皆で

心して後継の大樹育成を


識者が見つめる SOKAの現場

寄稿「福島に生きる人々」を巡って下

開沼博准教授(東京大学大学院情報学環・学際情報学府准教授)

聖教新聞4月9日付3面

…今回お話を伺ったどの学会員も、「困難への向き合い方が上手だ」ということでしょうか。役割を見つけたり与えたりすることがそれを支えている。

 つらい状況にあっても、学会員は、置かれた環境、今いる場所で、自分にできる役割を見いだし、それに喜びを感じようとしていく。そうした実践が各個人に根付き、集団としてもそれを支えていける体制がつくられている。

 時と場所が変われば、役割もまた変わります。そのたびに、学会員は新たな自分の役割を見つけ、行動に移していく。

 現代社会において、自分の役割を見失い、生きる意欲を無くしたり、役割をもって活躍する人を疎んで、自らの承認欲求を満たせずに他者の足を引っ張たりしてしまう人の存在は、大きな社会課題だといえます。その点、学会には、役割を自ら見いだす力をつける場としての機能が備わっているようにも見えます。

(感想)

開沼准教授の言われる通りだなと思います。社会的に偉い人が「自分の役割」を与えてくれるかというとそうではないと思います。もちろん役職者がその人に合った役割を振ることも大事だと思いますが、その人の心やその後の「困難との向き合い方」は、表面やその時の言葉だけでは推し量れません。どんな立場であろうが、どんな環境にあろうが、そこで自ら役割や課題を見つけ、向き合えるかどうかは、強い信念が必要だと思います。その信念を自分にもつためには、学ぶことと信仰心が必要だと感じています。この辺りを言葉にするのは難しいので、また時間のあるときに考えていきたいと思います。

ちょっとずつ学ぶ

基本的には、聖教新聞の『月々日々に――池田先生の折々の言葉』と『寸鉄』を読んで、思ったことをつらつらと書いています。

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