『月々日々に――池田先生の折々の言葉』
御書を開くことは境涯を開くことである。
御書を拝して、御本仏の心に迫り、
自らの小さな殻を打ち破る戦いを!
※2014年9月23日付「随筆 民衆凱歌の大行進」を基にしています。
『寸鉄』
御書「名聞名利は今生の
かざり」。広布大願の人
生を。真の幸福もここに
(新513・全463)
◇
生きるとは、世の中の為
に善を行うこと―英雄。
他者に尽くす人格の輝き
「聖教新聞」より
(感想)
「御書を開くことは境涯を開くことである。」
「御書「名聞名利は今生のかざり」。広布大願の人生を。真の幸福もここに」
「生きるとは、世の中の為に善を行うこと」
御書に書かれていることは、真理、真実で現代に通ずることが多いです。小説などは、フィクションの中に真理、真実を隠して読者に考えさせることが多いですが、御書の場合は、逆に真理の言葉をある言葉に凝縮して、真実を伝えているので、理解するまでに時間がかかりますが、納得できると自分の血肉となり、その思考が生き方にもつながるようになっています。以前、大学院のゼミを見学に行った時に、院生が「教科書は宗教のテキスト、教典のようには信用できない」という話をした時に、教授が「教科書は民主主義を学ぶもの」という話をされたことを思い出しました。私はそれについて、宗教は個人の行動規範をつくるもので、教科書は事実から対話を生み出すものだと考えました。
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