『月々日々に――池田先生の折々の言葉』
一人のために、法華経を語る人こそが
「如来の使い」である。世界広布といっても
その最前線は、一対一の対話である。
※『随筆 民衆凱歌の大行進』を基にしています。
『寸鉄』
いかに強敵重なるとも、
ゆめゆめ退する心なかれ
―御書。難を飛翔の力に
(新605・全504)
「聖教新聞」より
(感想)
「世界広布といってもその最前線は、一対一の対話である。」
「いかに強敵重なるとも、ゆめゆめ退する心なかれ。」
「一対一の対話」は確かに難しいものです。自分と思考が似ている人とは、話がスムーズに進み、共感し合いながら深い会話ができます。しかし、思考が全く異なる人に対しては、自分の考えや思いを理解してもらうために、まず相手の思考を理解しようと努める必要があります。特に、自分の考えを絶対視し、平気で相手を傷つけたり、人を馬鹿にして常に優位に立とうとする「マウント志向」の人との対話は、非常に骨が折れます。そのような相手は、指摘を受けると防御的になり、自分の都合の悪い部分には耳を貸さず、正当化を図る傾向があります。そのため、対話はどうしても長い間平行線のままとなる場合が多いのが現状です。しかし、このような困難な状況においても、対話を諦めずに続けることが重要だと考えます。相手が自分自身を客観視し、成長するきっかけを掴むためには、まず基盤となる「学び」の習慣を持つことが不可欠です。そのためには、読書という具体的な行動を通じて、新しい視点や価値観を得てもらうことが第一歩になると感じています。読書は、自分と異なる考え方や人生を知る貴重な手段であり、それが対話のきっかけや共通の話題を生む土台になると思います。
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