『月々日々に――池田先生の折々の言葉』
現象に惑わされるのではなく、御書に
立ち返ることだ。複雑そうな問題も、
“信心の眼”で見れば、すべては明瞭だ。
※小説『新・人間革命』第8巻「清流」の章を基にしています。
『寸鉄』
目的観を明確に足元から
実践―牧口先生。生命尊
厳の世紀へ共に対話拡大
「聖教新聞」より
(感想)
「現象に惑わされるのではなく、御書に立ち返ることだ。」
現在、女性同士のいざこざに対応しています。よく「女性は共感を求める」と言われますが、確かにその特性が現れているように感じます。昨日まで仲が良かった二人が、今日は互いを非難し、次の日にはまた仲直りするという変化が頻繁に見られます。一方で、一度嫌われた相手からは、長い間、蔑視の目で見られ続け、こちらが関係修復を試みてもなかなか応じてもらえないという現象もあります。これらは、職場や日常生活において起こり得る、非常に複雑で感情的な関係性の一例です。
その中で、「現象に惑わされるのではなく」という言葉の意味が、少しずつ理解できてきました。日々変わる人間関係の表面的な現象に振り回されるのではなく、普遍的な指針や信念に立ち返ることが重要だと感じています。しかし、こうした状況に直面したとき、具体的にどの御書を拠り所とすればよいのか、悩むことも少なくありません。
御書の中でも、人間関係や試練に関する言葉には大きな力があります。たとえば、「地涌の菩薩とは、どんな困難にも挫けず、法を持ち続ける強い信念を持つ存在だ」という考え方は、困難な状況に立ち向かう際の心の支えとなります。また、「悪世の衆生のために、忍辱(にんにく)の鎧を着よ」という教えは、困難な人間関係においても忍耐強く向き合い、調和を目指す姿勢を説いています。
さらに、日蓮大聖人の「自他共の幸福を願う心」が記された御文を読むことで、表面的な現象に囚われず、長期的な視点で物事を見る大切さを学べると思います。特に、「立正安国論」に記される「一人一人の幸福が社会全体の安定と平和に繋がる」という思想は、現在のいざこざをどのように乗り越えればよいかを考えるヒントになると思いました。
このような難しい人間関係においても、「現象に惑わされるのではなく、御書に立ち返る」ことで、短期的な感情や変化に流されず、自分自身の軸を保つことができます。また、御書に触れることで自分の行動を内省し、相手への働きかけをより誠実で前向きなものに変えていけると思います。
関係修復が難しい場合も、誠実な姿勢は必ず誰かに伝わり、それが周囲に良い影響を与えるはずだと思います。一歩一歩、御書の教えを実践しながら、長い目で人間関係を見つめる姿勢が、きっと未来を切り開いていく力になると信じて行動していきたいと思います。
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