今日は、聖教新聞が休刊日なので、『月々日々に――池田先生の折々の言葉』『寸鉄』
はありません。替わりに、昨日(10月14日)の『名字の言』を紹介します。
60年前の「短期決戦型プロジェクト」
「…物事に取り組む前から「私にはできない」「どうせ無理」と、挑戦を拒む人もいる。中にはもっともな理由がある場合もあろう。だが、否定的な固定観念や思い込みから、不要な“限界の壁”を自分でつくっている場合もある…」
「聖教新聞」より
(感想)
この「自分でつくっている場合」というのは、どのような場合なのかを考えてみました。そもそも「私にはできない」「どうせ無理」と言葉にするのは、そのことをやろうと思っていないからということがほとんどだと思います。それ以外にも、やろうとしている人の足を引っ張ろう、試そうとしている人も同様のことを言うと思います。その言葉をどういう発露で発しているかは分からないこともありますが、それを聞いた人は、そのようなことを言っている人のことには、あまり耳を傾けないと思います。前提として、そのやろうとしていることが、広宣流布やウェルビーイング、DEIなど、どの人(もうすでに持っているまたは余っている人以外)にとってもプラスになることが条件だと思います。
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