2024年8月9日

『月々日々に――池田先生の折々の言葉』

核兵器の廃絶へ、人々の心に「平和の砦」

を築く対話が重要です。若人の信念の

声で、生命尊厳の思想を時代精神に!

  

※創価新報2022年8月17日付「池田先生が語る青年への指針〈勝ちゆく君へ〉」を基にしています。

『寸鉄』

長崎原爆の日。核兵器は

必要悪でなく絶対悪。民

衆の声集め核なき世界を

     ◇

一人の人に会えばよい―

戸田先生。心通う対話を。

新たな友好拡大を颯爽と

     ◇

子は約4センチの物まで飲み

込む。誤飲・窒息防げ。小

さな物は手の届かぬ所へ

「聖教新聞」より

(感想)

「核兵器は必要悪でなく絶対悪」どうして絶対悪なのかを考えることが必要です。考えが不十分だと必要悪だと思ってしまいます。特に人の命が数字でしか見られなくなった人たちがそのような思考に陥ると思います。ですので、現在の日本の教育でも、子どもたちに悲惨なものは見せたくないとの思いから、数字だけ、原爆の投下された日、亡くなった人数などだけの事実の部分のみ学ぶので、何がいけないのかよく理解しておらず、結局、悪いことをしている国には、大きな制裁が「必要」だという感覚や、自分たちを守るための最終手段として「必要」という考え方に至ってしまうのだと思います。そもそも悪い国というのが、自分の国を絶対的な善として考えているので、その考え方から学べるようにすることが「必要」だと思います。どの時代、どの場所でも、自分たちを守ろうとしているので、悪い国があるのではなく、国の中に、悪いことを考える人が出てきたときの対処を誤って、その流れを止められなかったことに問題があると思います。その悪いことを考える人が出てきたときの対処の根本となるのが、教育だと思います。なので、学校の先生をはじめ、会社の役職者などは、そうした深い哲学をもって、日々、子どもや部下と接していくことが「必要」だと思います。

核兵器は必要悪でなく絶対悪

Nuclear weapons are not a necessary evil, but an absolute evil

核武器不是必要之恶,而是绝对之恶。

ちょっとずつ学ぶ

基本的には、聖教新聞の『月々日々に――池田先生の折々の言葉』と『寸鉄』を読んで、思ったことをつらつらと書いています。

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