『寸鉄』
創価学会葬。大恩ある師
の遺訓を生命に刻まん。
報恩・誓願の道、我ら征く
◇
「在在の諸仏の土に常に
師と俱に生ず」法華経。
師弟の宿縁は三世永遠也
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本物の弟子がいれば、広
宣流布は断じてできる―
戸田先生。後継の師子に
「聖教新聞」より
(感想)
「本物の弟子がいれば、広宣流布は断じてできる」この言葉を池田先生が人生をかけて証明されたのだと思います。では、一人だけで良いのかというとそうではないと思います。広宣流布が流れそのものならば、その一人から派生をして、流れとなる人たちが必要だと思います。その流れの一人に自分がなれれば本望です。衆生所遊楽の境涯で生きることができると思いますし、それが幸せな姿なのだと思います。時には感情的になることもあるかもしれませんが、それは凡夫なのでしょうがないと思います。何が広宣流布なのか、どのような流れの中で行動すればよいのかは、これからも考え続けていきたいと思います。
If there are genuine disciples, kosen-rufu is definitely possible.
如果有真正的弟子,广宣流布是肯定可以的。
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