『わが友に贈る』
尊き多宝の父母に深謝!
福徳は「生々に失せじ。
世々にくちざらんかし」
益々の健康長寿を祈り
信心継承の座談会を!
新1306・全968
『寸鉄』
各地の華陽カレッジで広
がる触発と共感。一人も
もれなく幸福勝利の道を
◇
人生は華やかに踊る舞台
でなく勝負の舞台―作家
難を乗り越える信心こそ
「聖教新聞」より
(感想)
「福徳は「生々に失せじ。世々にくちざらんかし」」が理解できませんでしたので、言葉を調べました。「生々」とは、「① 生まれては死に、死んでは生まれることを永遠に繰り返すこと。転じて、副詞的に用いて、いつまでもの意。」とありました。「世々」とは、「① 多くの世。代々。」「② 生まれ変わること。転生。」とありました。つまり、尊き多宝の父母の方々は、これまで積まれてきた福徳は、いつまでも失われることはなく、次の世代、また自身が生まれ変わってもその福徳は朽ちることなく永遠に残っています。という意味になるのだと理解しました。言い換えると、今の生き方や心の持ち方が、どこまでも自分を作っていくのだと感じ、改めて父母への感謝と自信の生き方を振り返ることができました
「これまで積まれてきた福徳は、いつまでも失われることはなく、次の世代、また自身が生まれ変わってもその福徳は朽ちることなく永遠に残っています。」
The blessings that we have accumulated up to this point will never be lost, and even if we are reborn in the next generation or ourselves, these blessings will remain uncorrupted and remain forever.
The blessings 祝福 accumulated up 蓄積された remain 残る uncorrupted 腐敗していない
我们迄今为止所积累的福报永远不会消失,即使投生到下一代或投生到我们自己,这些福报也不会被腐蚀,永远存在。
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