今日は聖教新聞が休刊日なので、『わが友に贈る』と『寸鉄』はお休みです。
かわりに新人間革命を紹介したいと思います。
…伸一は、この健気なる同志を、心から賞賛し、励ましたかったのである。
芳子は、伸一が歌を揮毫してくれた色紙を目にした時、それまで胸の底に澱んでいたものが、サーっと取り除かれていく思いがした。それは、“自分はなぜ、あの日、「洞爺丸」に乗らずに救われたのか。それはどんな意味があるのか”という疑問であった。
“そうだ!私には、北海道広布の使命があったからこそ、生きているんだ!これからは、あの事故で自分の命は終ったものと思って、わが人生を広宣流布に捧げよう!”
彼女の苦闘は続いたが、両親も健康を回復し、次第に経済苦も解決していった。
(新・人間革命第26巻「厚田の章」p.94より抜粋)
「あの事故で自分の命は終ったものと思って、わが人生を広宣流布に捧げよう!」という域に入ると、どんなに苦しいことも乗り越えられますし、どんなに回り道しても、最終的に良い方向に進んでいくと思います。それが「広宣流布とは流れそれ自体」のような気がします。時間がないので、また考えていきたいと思います。
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