『わが友に贈る』
一切を希望へ 前進へ
勝利へと転じる仏法だ。
題目を朗々と唱え
金剛不壊の大境涯を
共々に築きゆこう!
『寸鉄』
「書は言を尽くさず、言は
心を尽くさず」と御聖訓。
幹部は率先の訪問激励を
(新1363・全1012)
◇
信心に立てば全てが軌道
に乗る―戸田先生。強き
祈りで使命の大空を飛翔
「聖教新聞」より
(感想)
「一切を希望へ前進へ勝利へと転じる仏法だ」ある時期だけ見ると、「絶望したり、後退したり、負けたりしているように見えます」ということを暗に言われていると思います。そもそもその人に乗り越えられない壁は、乗り越えられる「時」が来ないと壁自体が見えません。壁が見えるようになったら、お題目を上げて、その絶望、後退、敗北を希望、前進、勝利へと転じていくことが必要だと思います。「いつか、誰かが、勝手に」変えてくれることはありませんので、「今、自分が、決意して」行動を起こすことが大事になってくると思います。
昨日書かなかった大白蓮華5月号のp.20を紹介します。
「…当然、滅後の悪世において正法を弘めれば、必ず迫害を受ける。その経文の通りに大聖人は大難を受けられ、あの竜の口の「頸(くび)の座」にまで臨まれました。一切を耐え忍ばれて末法万年の民衆救済の大法を説き弘めてくださったのです。ゆえに、いかなる難があっても、断じて負けない。断固として屈しない—この強靭な魂を持ってこそ、誉れの大聖人門下といえます。
仏法は勝負です。生半可な心構えで、迫害の嵐に耐えて勝ち切ることはできません。だからこそ、身を包む「衣」も「柔和忍辱の衣」であり、「忍辱の鎧」でなければならないのです。」
少し厳しい話を切り取りましたが、ChatGPTに「柔和忍辱とは何か」を質問したところ、「人生において困難や苦しみが生じた場合に、その苦しみや困難に対して不平や不満を口にせず、むしろ謙虚であること、感謝の心を持って物事を受け止めることが柔和忍辱」であると回答がありました。頭では分かっていても、この境涯に人間が立つのはとても難しいのは、職場で戦ってきてよく分かりますし、その境涯にはまだまだ至れていないので、これからも自分自身を鍛え続けるしかないなと思いました。
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