『わが友に贈る』
「ほむればいよいよ
功徳まさる」御聖訓。
一人一人の奮闘を
心から称えよう。
勝利開く力がそこに!
新1713・全1242
『寸鉄』
自分のなすべき事を即座
になす―哲人。強き祈り
と迅速な行動の名将たれ
「聖教新聞」より
(感想)
昨日の続き(懲戒権削除について)を書きます。
しかしながら、近年の脳、神経科学の知見は苦痛神話が誤りであることを示唆している。苦痛を感じたとき、人の脳では、へんとう体を中心とするメカニズム(仕組み)が活性化し「闘争・逃走反応」が起こる。また、同時に人の知的な神経活動を押し下げることが分かっている。つまり、苦痛が与えられると人はその場しのぎの行動はするが、物事を理解し学ぶ力は奪われてしまうのだ。
一方、規律違反を犯した人に罰をあたえる側は、それによって脳の報酬系回路の主要部位が活性化することも確かめられている。報酬系回路は「欲しい」「やりたい」などの欲求や、それに伴う快体験の中枢であることが知られている。つまり「(悪いことをした)人に苦痛を与えること」は人間にとって快感なのだ。
このことは親が「子どものため」と認識しながら、実際は自分自身の欲求を満たすために懲戒を繰り返すことが起こり得ることを意味している。私はこれを<叱る依存>と呼んでいる。<叱る依存>に限らず依存の問題は、依存する側が慢性的に抱える苦痛が促進要因であると考えられている。児童虐待の問題の解決をめざすためには、苦痛神話から脱却し、虐待してしまう(もしくはその予備軍の)親権者への支援のまなざしと仕組みが不可欠である。
ということでした。今日の「わが友に贈る」がこの内容にぴったりだと思います。「一人一人の奮闘を心から称えよう。勝利開く力がそこに!」子どもでも、大人でも認められた方が、本当は気持ちがいいはずです。でも、認めるところは、あたりまえのことすぎて、口から出てきません。それを分かる、気づくことができるのは、苦労をした人だけです。自分から苦労をして、考えて、人のいいところを見つけることが大切だと思います。
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