2022年6月13日

今日は聖教新聞が休刊日なので、別の記事から持ってきたいと思います。

「青年・飛躍へ走る」

…1979年(昭和54年)5月3日、創価大学で行われた会長辞任直後の本部総会を終え、池田先生が真っ先に向かったのが、完成したばかりの同会館(神奈川文化会館)だった。この夜、先生は「共戦」と大書。5日には「正義」としたため、脇書に「われ一人正義の旗持つ也」としるした。

 後年、先生は、当時について、こう語っている。

 「“これで、もう学会は終わりだ”と、世間が思うなか、新たな戦いの指揮を、神奈川のこの地から私は厳然と始めたのである」

 この時の滞在中、会館周辺には、師匠を求めて駆け付けた無数の同志の姿があった。

 「よし、こういう同志がいるのであれば、私はこの方々のために戦おう!学会員のために、もう一度立とう!」

 「あの光景を、私は一生、忘れない。ゆえに神奈川文化会館は、私にとって特別の場所なのである」—と。

『聖教新聞2022年5月18日付2面』より

(感想)

自分が神奈川出身で、池田先生が勇退された54年の翌年、昭和55年生まれなので、親近感が湧きます。また、神奈川の中でも横浜市保土ヶ谷区出身なので、自転車で小さいころ両親とともに弟と一緒に自転車をこいで神奈川文化会館に行ったことを思い出します。この当時、神奈川文化会館まで片道30分の道のりを両親も含めてよく行ったなと思います。池田先生がこんなにも大変な中だとは両親から聞かされていませんでしたが、いまになって振り返ると、その時に連れて行ってくれたおかげで、池田先生を身近に感じることができ、もっと池田先生のことを学びたいという気持ちになります。小さなころのことは、後になって感謝することばかりですが、こうした経験から、人がどう言おうが、正しいことを貫くことの大切さに気付かせていただきます。

ちょっとずつ学ぶ

基本的には、聖教新聞の『月々日々に――池田先生の折々の言葉』と『寸鉄』を読んで、思ったことをつらつらと書いています。

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