『わが友に贈る』
「納得」から
共感の波動が広がる。
身近な一人を大切に
じっくり語り合おう!
誠実に。心を尽くして。
『寸鉄』
苦難、苦労の中で偉大な
ものは生まれる―恩師。
青年よ嵐にも胸張り挑め
「聖教新聞」より
(感想)
「苦難、苦労の中で偉大なものは生まれる」というのは、その通りなのだろうなと思いました。また、そうした苦労から生まれたものにこそ、みなが共感をして、「納得」できるものになるのだろうなとも思いました。一人ずつ丁寧に話を聞き、お互いが納得できるように誠実に話し合いをしていきたいと思いました。
新・人間革命第25巻「共戦」の章
「あの時の座談会では、反発ばかりして、申し訳ございません。もともと、人に負けたくないという心が強い性格なんです」
伸一は、笑いながら語った。
「それを仏法では、修羅の生命と説いているんです。外見は立派そうでも、内心では、“常に人よりも勝っていたい”と思い、他人を自分より下に見て軽んずる。その『勝他の念』が修羅の本質です。そして、虚勢を張ったり、地位や権力を誇示して、自分を偉く見せようとする。また、自分より優れ、名声や尊敬を集めている人がいると、憎み、嫉妬する。
日蓮大聖人は、『諂曲なるは修羅』(御書241㌻)と言われている。『諂曲』というのは、自分の信念を曲げて、人にこびへつらうことです。修羅は、驕り高ぶってはいても、本当の力も、自信もないから、強大な力の前では、不本意でも、ひれ伏し、媚びへつらう。本質は臆病なんです。ずるいんです。実は、そこに自分を不幸にしていく要因がある。その生命と戦っていく力が、仏法なんです。
広宣流布の大願に生きるならば、自分に打ち勝つ力が湧きます。その時、修羅の生命は、仏界所具の修羅界、菩薩界所具の修羅界となって、悪を打ち破る大力となり、常勝への執念となります。ともかく、信心は素直に頑張るんですよ」
山村は、“信心は素直に”との伸一の指導を深く胸に刻み、自分を見つめ、懸命に学会活動に取り組んだ。そして、1964年(昭和39年)8月、東徳山支部が結成されると、彼女は支部の婦人部長になった。
“素直な信心”によって、山村の負けん気の強さは見事に生かされ、勝利への執念となって、徳山の広宣流布は、大きく進展していったのである。(pp.190-192)
(感想)
自分もすぐに修羅界の命が出てしまいます。人にばかにされたり、下に見られたりすると、「なんでだ」「なにくそ」という気持ちが湧いてきます。その気持ちをコントロールして、上を目指すために、お題目を上げて、目標を決めて、努力していきたいと思います。
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