本日は、聖教新聞が休刊日でしたので、『わが友に贈る』と『寸鉄』もお休みです。
かわりに、昨日11月12日の聖教新聞〈HEROES 逆境を勝ち越えた英雄たち〉「第36回 ソクラテスとプラトン」を抜粋したいと思います。
(前略)ソクラテスの青年への感化力は「シビレエイ」にたとえられた。その意見に彼は「自分自身がしびれているからこそ、他人もしびれさせる」と応じている。
だが、権力者やソフィスト(詭弁家)たちから恨まれ、“国家の認める神々を敬わず、青年を腐敗させた”という無実の罪で告発されてしまう。
裁判の結果は死刑。それでもソクラテスは「わたしは、正義に反することは、何ごとでも、いまだかつて何びとにも譲歩したことはない」「善きひとには、生きている時も、死んでからも、悪しきことはひとつもない」との信念を曲げず、1カ月の獄中生活の後、毒杯を飲み最期を迎える。
ソクラテスの死を前に、仇討ちを誓ったプラトン。師の正義を証明する弟子の戦いが始まった。(後略)
〈「ソクラテスを語る」から〉
「ソクラテスの対話」の驚嘆すべき特徴とは、だれにでも「わかりやすい言葉」で、「わかりやすい事実」を通して、目指すべき「高尚な思想」「神々しい徳」を語ったことである。(中略)
思想は、人々の心に生きてこそ意味がある。単なる難解さは自己満足にすぎない。
ソクラテスは、自分の知を誇るためではなく、「相手のために」対話した。「わかりやすい」ということが慈悲の発露なのである。(後略)
「聖教新聞」より
(感想)
自分が特に感銘を受けた部分を抜粋しました。ソクラテスの言葉はあまり知りませんので、少し調べてみました。するといくつか知っているものもありました。有名なものは「無知の知」「悪法もまた法なり」かと思います。調べる中で「指導者とは、自己を売って、正義を買った人間だ」ということに惹かれました。自己を売ってというのが不惜身命のことであり、正義を買うというのが広宣流布のことだと感じました。ソクラテスはいまから2000年以上前に、人間の本質に一人で気づき、戦い抜いて殉教されたのだと思うと、悲しい気持ちになるとともに、もっと周りの人が学び自分自身を高め、ソクラテスのような人が大事にされる社会にしていかなければいけないなと思いました。
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