『わが友に贈る』
「陰徳あれば陽報あり」
誰が見ていなくても
進んで労苦を担いゆく。
その尊き広布の志に
大果報は厳然と現れる!
新1613・全1178等
『寸鉄』
信行学は我々が欠かして
はいけぬ条件―戸田先生
基本に徹して壁に挑もう
「聖教新聞」より
(感想)
「誰が見ていなくても進んで労苦を担いゆく」ここが大事なのだと思います。「大果報」を求めて行っているうちは、うまくいかないと思います。果報を求めずに、労苦を担うことがあたりまえになったとき、自然と果報が現れてくるのだと思います。その果報は、一見因果の理法が通じていないように見えますが、かなり遠いところでつながっています。それを信じていまの苦労を苦労と思わず向き合えたとき、さまざまなものが開けてくるのだと思います。それはあきらめとは違います。能動的でなければいけないと思っています。
誰が見ていなくても進んで労苦を担いゆく
Be willing to shoulder the burden of labor even when no one is watching.
即使没有人在场,也要愿意承担劳动的重担。
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