2023年11月7日

『わが友に贈る』

 「陰徳あれば陽報あり」

 誰が見ていなくても

 進んで労苦を担いゆく。

 その尊き広布の志に

 大果報は厳然と現れる!

 新1613・全1178等

『寸鉄』

信行学は我々が欠かして

はいけぬ条件―戸田先生

基本に徹して壁に挑もう

「聖教新聞」より

(感想)

「誰が見ていなくても進んで労苦を担いゆく」ここが大事なのだと思います。「大果報」を求めて行っているうちは、うまくいかないと思います。果報を求めずに、労苦を担うことがあたりまえになったとき、自然と果報が現れてくるのだと思います。その果報は、一見因果の理法が通じていないように見えますが、かなり遠いところでつながっています。それを信じていまの苦労を苦労と思わず向き合えたとき、さまざまなものが開けてくるのだと思います。それはあきらめとは違います。能動的でなければいけないと思っています。

誰が見ていなくても進んで労苦を担いゆく

Be willing to shoulder the burden of labor even when no one is watching.

即使没有人在场,也要愿意承担劳动的重担。

ちょっとずつ学ぶ

基本的には、聖教新聞の『月々日々に――池田先生の折々の言葉』と『寸鉄』を読んで、思ったことをつらつらと書いています。

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